毎度!北のおっさんイシです。(-。-)y-゜゜゜

 17日に社長が面接と士別現場視察で来道した時のお話です。

社長:「イシ!札幌に事務所移転するのか?」
イシ:「はい!札幌開設準備室での募集で結果が出たので総務部長に相談します。」

社長:「ところで、何で札幌に道庁が出来たんだ!知らないか?」
イシ:「何でですかね~遊郭があったから??」
社長:「何で札幌に道庁が出来たんだ。」

このやり取りを4~5回繰り返してたので、妙に気になりだし調べてみました。

(ヤフー知恵コレより)

江戸時代後期から、徳川幕府は南下政策をとるロシアの脅威に備え、
蝦夷地の統治強化を考えました。
幕臣を派遣し海岸も内陸も調査にあたらせました。
 蝦夷地を開くとなると統治拠点となる、首府を置く必要がありふさわしい土地を当時から考えていたそうです。
19世紀の初めに近藤重蔵(幕臣)が「蝦夷地を治めるには石狩筋がよい」と提言しています。

その後、「札幌にすべき」と具体的な提言を最初にしたのは、探検家・松浦武四郎。
「北海道」の名称の考案者です。

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彼は安政4年(1857年)に出版された「東西蝦夷山川地理取調紀行」の書物において、
「札幌に府をおけば石狩は間もなく大阪の様に繁栄するだろう、豊平川の河口は伏見に等しく、札幌の地こそ、京都にも匹敵する尊ぶべき所だ」と述べています。

 維新後、武四郎は明治政府に仕え、島内をくまなく探索した武四郎の報告を重んじ、
石狩に府を置く方針を決定します。

しかし、この時点では石狩地方のどこかであっても、札幌に拠点を置くと決めれたわけではありませんでした。

・都市の背景地として広大な平野(石狩平野)に恵まれていたこと。

・石狩川という道内一の大河が流れていること。明治初期の北海道はまだ鉄道も、道路も全く未整備状態で、内陸に踏み入るためには河川交通に多くを依存していました。

・銭函という外港があり、内地からの資材搬入が容易だったこと、
(のちの外港は小樽に移ります)

 

 札幌に道庁をを置く事を最終的に決定したのは、旧佐賀藩士で新政府の北海道開拓使半官の要職についていた島義勇という人物でした。
島義勇は「北海道開拓の父」と称されるほど開拓初期の北海道に多大な貢献をした人物ですが、
彼は石狩地方を探索していて円山に登ったとき、三方を山に囲まれ一方だけ開けた札幌の原野を見下ろして平安京(京都)との相以性に驚き、Σ(・□・;)
ここに「五州第一の都(世界一の都市)」を建設すると決断したのです。

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松浦武四郎も島義勇もともに京都とに似ている札幌こそ府を置くにふさわしい地と述べていることは注目していいことでしょう。

この国では、先年の都として繁栄を続けた京都こそ最も優れた都市建設のモデルだったと、
思われます。
優れた観察力を持った二人の人物が、札幌の原野に京都との相似を見出したのは偶然ではないはずです。

北のおっさんイシも札幌生活40年ですが、なぜ?道庁が札幌なのか考えたことすらありませんでしたが、下舘社長の4~5回の何で?のおかげで、一つ勉強になりました。( *´艸`)

松浦武四郎、島義勇も札幌を選んだように、プライム下舘工務店も札幌進出をしないと、
商売は札幌なんです。歴史が語るように千歳ではないことはこれで明らかになりました。

これを読んでくれた皆さんが今日一日良い日であります
GOOD LUCK!!